『びょうげんせいだいちょうきんおーいちごーなな』

 

数年前の集団食虫毒事件の時に、耳にタコができるぐらい聞いた気がするフレーズです。

『病原性大腸菌O−157』ですね。

当時は亡くなった人もいて、マスコミは連日取り上げていましたね。
真相はカイワレ大根にこの大腸菌が入っていたとかいなかったとか・・・結局はどうなったんでしたっけ?

 

大腸菌にも色々と種類があり、『O−157』はその大腸菌の種類の識別番号といったところです。

大腸菌は、人や他の動物の消化管に住み着いています。『病原性』という言葉からわかるように、通常私達の腸内にいる大腸菌は悪さをしません。『非病原性』なわけです。
むしろ、身体によいことさえあります。例えば、身体のなかの大腸菌は吸収した栄養の残りかすとしていろいろな物質を放出しますが、そのなかになんと、ビタミンKがあります。
ビタミンとはヒトが生きていくのに欠かせない物質の総称です。大腸菌様様ですね。

研究室などで使われている大腸菌は、野生を失って久しく、実際に研究室で提供される栄養に富んだ液の中でないと生きられないのです。
生物というのはおもしろいもので、安住できる環境があると、不必要な性質はどんどん失われていくのです(^^;)
これにはきちんとした説明があるのですが、それはまた後日。

しかし、このO−157という種類の大腸菌は『ベロ毒素』という毒素を自分の体外に放出する性質があり、O−157を飲み込んでしまった人は、この毒素によって消化管の内側からダメージを受ける、ということになるわけです。

 

 

実はこの大腸菌という生き物、分子生物学の研究において、ひっっじょうに重宝されてきた生き物なのです。

 

・・・なんでやねん。と思いません?なんで大腸菌?なんでそんなちゃちい生き物を研究するのか?

新聞などでは、ちっちゃくではありますが割と毎日『〜という発見がなされた』という科学記事はあります。ヒマなときにでもよく目を凝らして覗いてみてください(^^;)

そういう記事を読んでみると、もちろんヒトの細胞を使っているものもありますが、「ネズミの遺伝子を・・・」とか、「ショウジョウバエに・・・」とか、「大腸菌由来の・・・」、「センチュウに・・・」とかいう記事もあります。

ネズミはほ乳類で人間に近そうですけど、
「どうしてハエだとか大腸菌だとか、そんなみみっちい(と言ったら大腸菌に失礼ですが)生き物を使ってるんだろう?さっさとヒトの研究をせえよ!」
少なくとも僕は以前そう思ってました。

 

その答えは大雑把に言えば、
人間よりも、大腸菌の方がとてもシンプルなつくりをしているから、複雑な人間を研究するよりも簡単、
そして、シンプルであるにも関わらず、その基本的な仕組みは人間にも共通しているものがあるから、

です。

生物学者たちはこう考えました。

「生き物というのはあまりにいっぱい種類がありすぎて、各々の学者が違う種類の生物を調べるのは手間がかかるな。じゃあ一つ代表の生物を選んで、それについてそれぞれの専門家が違う角度で研究をしよう。そうすれば、生命というものについて効率よく深く調べることができる。」

それによって選ばれた、「細菌」という種類の生き物の代表が大腸菌なのです。

 

ですから、どこかの学者さんが「大腸菌がフンを排出する仕組みを発見した!」と発表したとしても、「なんて無駄なことを!」と蔑まないでやってください。
もしかしたら、それも生命のしくみを発見するための大きな進展なのかもしれないのですから。
(たまにはそんなことが何の役に立つんだろう?っていうのもありますが(^^;))

 

 

では、大腸菌とは、どんな生き物なのか?

上は大腸菌の電子顕微鏡写真、下は細菌の別種の模式図です。大腸菌は細菌の一種なのです。

大腸菌は、学名 Escherichia coli(ラテン語です)、略してE.coliと書き、イー・コリとかイー・コーライとか呼んだりします。

大きさは1〜10μm(マイクロメートル;1oの1000分の1!)ぐらいで、たった一個の細胞でできています。
しかし、細胞一個でも生きられるよう、ヒトと同じで「DNA」や細胞を外界から区切る「細胞膜」を持ち、植物みたいに「細胞壁」まで持っています。

ただし、DNAを収納する細胞内の小部屋である「核」を持たず、DNAは細胞の中にでろーんと散らばっています。

植物のように光合成に必要な「葉緑体」を持っていませんし、私達のように呼吸することによってとりこんだ酸素を使って食物からエネルギーを取り出すのに必要な「ミトコンドリア」も持っていません。

なにより細胞一個しかない生き物なので、当然ながら70兆の細胞を持つわれわれ人間には似ても似つかぬ存在です。
目も鼻も耳も手足も、脳も、食道もありません。しかし、立派に生きています。

外界にある栄養分を取り込み、分解して動くためのエネルギーを取り出したり、化学反応を起こして自分に必要なものを合成したりします。

また、DNAを二倍にコピーして、新しく2匹に増えることもできます。逆に二匹が合体することもできます。

そのDNA配列は完全に解読されており、遺伝子の数はおよそ4300個、人間の約600分の1ほどです。
下図のように大腸菌DNAは輪っかになっていて、オレンジと黄土の区切られた線分のそれぞれが遺伝子に対応しています・

しかし遺伝子の数が少なくても、大腸菌もヒトと同様、生命としての基本的な仕組み、
細胞からできていること、食物を消化してエネルギーを取り出すこと、DNAを生命の設計図として子供に伝えていくこと、そのDNAを指令書としてタンパク質という生きていくための部品を作り出すこと、
などを備えています。

このため、すべての生命に共通な性質を研究するときには、大腸菌の方がシンプルにできるのです。
人間に特徴的な性質はもちろん人間の細胞を使わなくてはならないのですが、ゲノムプロジェクトが示すとおり、ヒトをヒトたらしめているものは遺伝子のほんの一部でしかないのです。

加えて大腸菌は、ものすごい速度で生育しますから、簡単に大量の数の細胞をえることができます。ヒト細胞ではもう少し時間がかかりますし、扱いが難しくてデリケートです。

 

腸内にいる大腸菌。よって、大をしてしまうと、一緒に出て行きます(食事中の方のため、なるべくオブラードに包んだ言い方してみました(^^;))が、その数はだいたい、1011個(100000000000個!)ぐらいだそうです・・・想像もつきませんねぇ。
実際にはいったいどのくらいの菌がわたしたちの身体のなかで生活しているんでしょうか・・・

繁殖速度はものすごく、タンパク質や塩などの栄養を十分加えてやると、だいたい20分ぐらいに1回で1個の大腸菌が2つに増えます。
こう言うと、「うーん、まあそんなもんか」ってぐらいに思う方が多いでしょう。
(余談ですが、大腸菌の入った液の臭いはパン酵母をものすごく濃くしたような臭いがします。)

しかし、12時間分裂を繰り返すとどうなるか?結果は、地球の総人口をはるかに超える数字になります。100億ぐらいでしょうか?

お隣さんが、街中の、日本中の、世界中の人間が大腸菌になってそこらを闊歩してるのを想像してください。気持ち悪!

 

そんな、ヒトの身体の中で細々と大腸菌はか弱い生き物かというと、どっこいそんなことはありません。むしろ、人間よりもはるかに適応能力に優れています。シンプルゆえフレキシブル、というわけです。

そもそも、大腸に生きているから“大腸菌”なわけです。
大腸ですよ?消化管というものは、食べたものを消化するためにあるものなんですよ?
そこで生活している大腸菌は、我々の立場でいえば、ヒトがクジラのなかで住むようなもんです。ヒトだったら、すぐにどろどろに溶かされてしまうでしょう。
そんな極限状態の中で大腸菌は生きているんです。
見上げたもんでしょ?(^^)

細菌の仲間には、他にも超高温、高圧、酸性、アルカリ性など、普通の生き物は一瞬で即死!な場所に生きているものもいます。

 

 

ところで、分子生物学において『遺伝子組換え技術』というものが確立すると、
ある種の生物の遺伝子を、まさにハサミでも使うようにして、狙って切り出して、別の生物の遺伝子にくっつける、ということが行えるようになりました。
ヒト遺伝子を大腸菌に組み込むことができるようになったのです。

もはや国民病になりつつあるという「糖尿病」。この病気に対する治療が大きく発展したのは、大腸菌のおかげでもあります。

糖尿病はすい臓にあるランゲルハンス島細胞の「インスリン」というホルモン分泌が減少するために、血液中の糖が細胞に吸収されず、エネルギーが足りなくなる、というものです。

このインスリン不足を補うために、根本的な治療にはならないのですが、外からインスリンを注射することで人為的に血中糖度を下げることができます。

しかし、注射するインスリンは他の人から奪ってくるわけにもいきませんから、以前はブタやウシを殺してすい臓を取り出し、ブタ・インスリンやウシ・インスリンを精製してヒトに注射していたそうです。
当然大量に作るには多くの動物を犠牲にせねばならず、そのためかなりのコストもかかり、しかもヒトのインスリンではないのだから安全性については・・・という風な問題がありました。

しかし、遺伝子組み換え技術により事態は一変しました。

まず、ヒトのインスリン遺伝子をヒト細胞から切り出し、大腸菌の遺伝子に組み込みます。
インスリン遺伝子を組み込まれた大腸菌は、そんなことも気にかけず、栄養を与えられればすくすくと育ち、すぐに超大量の個体を生じます。

何百兆、いやそれ以上の天文学的な数字になった個体の大腸菌それぞれは、すべて最初にヒトインスリン遺伝子を組み込まれた個体の子供の子供の子供・・・です。
よって、すべてがヒトインスリン遺伝子をもっているのです。
彼らは自身の中にある遺伝子にしたがって、せっせとヒトインスリンを作ってくれます。

あとは、大腸菌を殺し、中からインスリンを取り出して精製すれば、いちいちお金をかけてブタを育てて殺す手間をかけて少量の、という面倒をかけずとも、
三角フラスコの中で大腸菌を培養して大量のインスリンを取り出せるようになったのです。
おかげでインスリンの値段は安価になり、多くの人の手元に届くようになった、というわけです。

このように、大腸菌(や酵母など)は医療・製薬の面にも大きな貢献をしたことになりますね。

 

 

では、そんな大腸菌とヒトはどれくらい違う生き物なのか?

大腸菌は、『細菌』という生き物のグループに属します。
ではこのグループの分け方は『ほ乳類』と同じレベルの区分なのでしょうか?『ほ乳類』と『細菌』が、『動物』というさらに大きなグループに属しているのか?

・・・いえいえ、違います。『細菌』は、実は『動物』よりも別の区分のグループなのです。つまり、細菌は動物ではないのです・・・動くのにね。

では、『植物』と『動物』と『細菌』、といった区別か?ノーです。まだ上です。

・・・では、植物と動物の特徴といえば、いっぱいの細胞からできていることですが、『多細胞生物』グループと単細胞生物『細菌』グループか?
これもノーです。細菌はそれよりも大きなグループです。

わかりやすく図にすると、したのようになります。

一番左側の『BACTERIA(細菌)』にE.coliというのがあります。
そして、ヒトは一番右側のhumanです。(maizeはトウモロコシ、yeastは酵母です。)

枝の離れ具合は、それぞれの生物がどのくらい進化的に離れているかを示しています。
EUCARYOTESは『真核生物』といい、植物も動物も単細胞生物もここに含まれます。
細菌とヒトは、生命の歴史のかなり初めの方に別れた、ということになります。

それがどのくらいの時間かは、トウモロコシと酵母とヒトの距離の近さに比べて、大腸菌がいかに離れているかを見てもらえばわかりますよね。
大腸菌から見れば、私達とビール酵母とトウモロコシなぞ兄弟みたいなもんなんです。

 

そんなに離れているにも関わらず、大腸菌もわれわれヒトも基本的に同じシステムを使って生きているというのは驚くべきことです・・・!

さっきのインスリンの話でありましたが、組み込まれたインスリン遺伝子が大腸菌でうまくはたらくということは、遺伝子の扱い方―遺伝子を解読し、その命令どおりに必要なものを作り出す―は、大腸菌とヒトで基本的に全く同じだということです。
このことは、外見もその生き方も無限に様々に見えても、使っている根本的なシステムはすべての生命において共通であるということなのです。

 

多様にして一様、それが生命の本質なのです。

 

参考記事・文献

Essencial細胞生物学

Molecular Biology of the Cell 4th Edition

ウィキペィア『大腸菌」

Web book「Cell」

 

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